ストーリー

すべてはここから始まった。"喜佐"と"KISSA"、その夢の先へ

まだ靴が、“ハキモノ”という道具だった時代、私たちの足元に夢とファンタジーをもたらしたデザイナーがいた。日本初のファッションシューズデザイナー高田喜佐。きっと彼女がいなければ、日本のファッションシューズの歴史は別のストーリーになっていたのかもしれない。そう言う人さえいるほど、現在も多くのデザイナーに影響を与え、「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」にもシューズデザインを提供した、日本のモードの歴史に光り続けるクリエーター。そんな喜佐と「KISSA」の夢の続きが始まる。

"喜佐"と"KISSA"のキセキ

靴は、職人が量産する道具だった1960年代。まだ物もインフラも足りない戦後復興後の時代だから、おしゃれのための“デザイン”よりも、多くの人の需要に答えるハキモノを効率良く、たくさん作ることが求められた。そんな時代に多摩美術大学を卒業し、シューズメーカーに入社したのが、高田喜佐。彼女もまた需要に答える“ハキモノ”を作るよう義務付けられ、その葛藤から喜佐の奇跡が始まる。

こんなことがしたいんじゃない

今では当たり前のことだが当時から、靴は人の心とスタイルを彩る魅力があるアイテム、と思い続けていた喜佐は、ハキモノを量産する仕事に常に違和感を感じていた。泣きながら、「私がやりたいのはこういうことじゃない」と悔しさを語ったこともあった。靴はファッション――その思いを胸に、メーカーを退社し、66年に創作靴の初の個展「靴のファンタジー」を銀座の画廊で開く。当時、アートはもちろんファッションの対象でさえなかった靴で個展を開くことは、喜佐以外に思いもしなかったアバンギャルドな発想だった。でもこれが、KISSAと日本のファッションシューズの夜明け。展示された靴たちは、今では美術館にも収蔵される美しい造形のパンプスやブーツなど、日本のファッションシューズの原点だった。この個展で自信を得た喜佐は、シューズブランド「KISSA」を立ち上げ、時代に先駆けた女性クリエーター兼ブランド経営者として、新時代の扉を開く。

"唯一"のシューズブランド

1970年代に入ると、時代は喜佐が切り開いた“ファンタジー”を求めだす。道具としての衣服やハキモノが行き渡ると、今度はデザイナーが作る“おしゃれ”のためのデザインを人々は求めた。そして空前のDCブランドブームが生まれ、今も人気のデザイナーブランド、キャラクターブランドが次々と生まれていく。そんな当時、人気DCブランドを集めた聖地だった渋谷パルコで、洋服と並んで唯一シューズのDCブランドとしてオンリーショップを構えたのは後にも先にも、喜佐の「KISSA」だけ。71年に山本寛斎氏がロンドンで開いたコレクションショーに靴のデザインを提供し、川久保玲氏や三宅一生氏とも出会い、「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」が世界に衝撃を与えたとき、その足元には喜佐がデザイン提供した靴があった。

本当に良い靴だけを

こうしてKISSAの知名度は高まり、80年代にはオンリーショップも全国に増えていった。店が増え、商品が増え、生産量も増える。しかし、バブル消費を追い風にどんどん増産される自社の靴は、もしかしたら彼女に、60年代に自ら疑問を持ち、独立した頃を思い出させたかもしれない。

たくさんある商品と在庫の中で自分が本当に作りたい靴、残したい靴は何か

そう自問した喜佐は何とバブル全盛期にブティックをすべて閉め、会社を縮小して、本当に必要な靴をだけを世に送り出す、エコロジーで1足集中型のデザインに方針転換する。喜佐が改めて考えた本当に残したい靴、作りたい靴とは、「ローファー」、「ひも靴」、「シンプルなミドルヒールのパンプス」、「サンダル」、そしてキャンバススニーカーとパンプスを融合した喜佐の代名詞でもある「ズック」の5つだけだったと言う。それを集めたのが「KISSA SPORT」。常に「機能と夢が交わる靴」をめざし、エレガントでありながら、マニッシュでスポーティなデザインを生み出してきた喜佐は、さらにその本質を極めて行く。バブルのデコラティブな時代に、素足のコンフォートと心躍るエレガンスを融合したデザインは、常に時代を切り開いてきた、いかにも喜佐らしい靴作り。「ノームコア」といった21世紀のトレンドを予言していたかのような軽やかでエレガントな靴たちだった。そうして彼女のクリエーションは、2006年まで発表され続け同年、入院先から展示会場へ訪れるほどの情熱を残し、喜佐はこの世を去る。

"夢"の続き

靴に関するエッセイの著作でも知られる喜佐。靴作りについて語った最後の著作は『裸足の旅は終わらない』。ハキモノではなくファッション靴というファンタジーを切り開き、さらにレディスシューズにいち早く、裸足のような喜びをもたらした、喜佐の靴作り。その「終わらない旅」の続きは今、新生「KISSA SPORT」となって、彼女の残したビジョンとアーカイブをベースに毎シーズン、世に生み出されている。